ほぼ日刊ヒトミ通信

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  いい・悪い
2013年11月25日 (木)

天外さん、週初めから話が深い。

「すべては自分が悪いと思え」という考え方にに対し、

「ときには誰が見ても相手が悪いというケースもあるんじゃないか」という質問があり、

そのお答えが下記の通り

<ココから>

・・・うーん。ごもっとも・・・でもね・・

天外塾では、「いい・悪い」のジャッジメント(判断)から、なるべく離れることをお薦めしています。Aでは、「すべての問題は自分の中にある」と書きましたが、「自分が悪い」という意味ではありません。
 
誰かのとんでもない言動で物事が目茶苦茶になった時、多くの人は「あの人は悪い人」というレッテルをはりますね。

これは、心理学では自我防衛機制といいます。相手に悪人というレッテルを張る事で自分を守っているのです。

ある程度の人間的成長を遂げた人は、悪人というレッテルをはらずに、事実だけを受け止め、対策に邁進するでしょう。

 たとえば、サッカーで誰かがパスミスをしてボールを奪われた時、もっと見るたとえば、サッカーで誰かがパスミスをしてボールを奪われた時、「何や...ってんだ」「へたくそ」と非難するより、すぐにボールを奪い返しに行った方がいいのと同じです。

人間関係の葛藤は、多くの場合「相手が悪い」という認知の上に生じています。嫌悪感も伴うでしょう。問題がどこにあるかというと、相手に対する「いやだな」という自分の思いです。

とんでもなくひどい人がいても、もし自分の中に「いやだな」という思いが湧いてこなかったら、あなたは何の問題もないといえます。

すぐれた教育者は、小悪魔のような子どもを見ても「いやだな」とは感じず、「成長の過程で何があって、こういう言動に走らせているんだろう」という方向に意識が向きます。

つまり、その教育者にとってその子は問題ではないのです。ただひたすら、成長の過程でその子が受けてきたひずみが解消できるように、援助をするだけです。

つまり、人間関係の葛藤の真の問題点は「いい・悪い」は関係なく、自分の中に育ってしまった「嫌悪感」なのです。

相手がどうあろうとも、自分の嫌悪感を外すことはできます。それが葛藤の解消につながります。客観的に見て、相手が極悪人であろうと、これは変わりません。

<ココまで>

「そうは言っても、、、」なんて言っちゃいけません。

今日の学び・・・「ジャッジメントから離れる」

「裁判官」ではなく、「弁護士」になりたい今日この頃です。(実際は「検察官」だったして)

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