ほぼ日刊ヒトミ通信

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  教養
2017年07月10日 (月)

例によって内田先生が「教養教育の重要性」について、興味深いお話をされているのでちょっと紹介ます。

以前より大学が「ビジネスマンの予備校化」することに警鐘を鳴らしておられる先生が、1年次から専門教育ばかりやった結果「教養」の無い人間を大量に生み出し、かえって困ったことになっているとお話されています。

<ココから>

専門家というのは他の専門家との協働作業ではじめてその力を発揮する。

協働するためには、自分には何ができて、何ができないのか、自分は何を提供できて、何を欠いているのかを言葉にできなければならない。非専門家に自分の専門について手際よく説明することができる人間のことを専門家と呼ぶのである。

それができない人間は特定領域での知識や技術がどれほどあっても他の専門家との協働作業にかかわることができない。

専門性とは自分が「地図上のどこにいるのか」を指示できることである。地図の見方を知らない人間にはそれができない。

「地図を見る力」を養うこと、それが教養教育である。専門的な知識や技術を身につけることとは別の次元の仕事なのである。

(中略)

『七人の侍』でも『スパイ大作戦』でも『ナバロンの要塞』でも(たとえが古くて申し訳ないが)、プロたちははそれぞれの「余人を以ては代えがたい」異能の持ち主である。

あるものは変装の、あるものは外国語の、あるものは戦闘技術の才によって集団に参加し、彼らの貢献によって集団は爆発的なパフォーマンスを達成する。

そういう英雄譚はおそらく古代から繰り返し語られてきたのだと思う。それは専門分化と協働が集団の存続にとって死活的に重要だということを人々に教えるために物語られてきたのである。

<ココまで>

例えに出てくる映画が古すぎて、最近の学生にはとても通じないと思いますが、私にとっては好きな映画ばかりで大変よくわかります。(そう言えば「ナバロンの要塞」におけるグレゴリーペックの演技を「大根」と呼んでいたのは小林信彦だったかな)

中略部分において、旧制高校を「教養教育」の成功例としてあげておられますが、私自身昔読んだいくつもの小説の中で、旧制高校生がドイツ語やフランス語の小説を言語で読むシーンが沢山出来てくるので驚いた記憶があります。私の大学時代はそんな奴誰もいませんでしたからね(私立だからかな)

「七人の侍」までは望めませんが、せめて「桃太郎」チームくらい強い会社になって欲しいと願うおじさんでございます。

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