ほぼ日刊ヒトミ通信

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  飛鳥へ
2017年07月15日 (土)

昨日「飛鳥へ」のことを書いたので、ついでというわけではありませんが、ご存じない方もおられるかもしれませんので、まず「まえがき」を紹介したいと思います。

病におかされ、余命いくばくもない井村医師が、いつ手記が途絶えてもいいように、まず「まえがき」と「あとがき」を先に書いて、それから本文にとりかかられた。まさに「命の刻印」が刻まれた文章です。

<ココから>

「ふたりの子供たちへ」  
                   
心の優しい、思いやりのある子に育ちますように。

悲しいことに、私はお前たちが大きくなるまで待っていられない。

私の右膝に発症した肉腫は、私が自分の片足を切断する手術を希望し、その手術が無事済んだにもかかわらず、今度は肺へ転移した。

肺の中で増殖し始めたその肉腫は、懸命な治療に対してそれを嗤うかのように広がり続け、胸を圧迫し呼吸を苦しめる。

もう、あとどれだけも、私はおまえたちのそばにいてやれない。こんな小さなおまえたちを残していかねばならぬのかと思うと胸が砕けそうだ。

いいかい。心の優しい、思いやりのある子に育ちなさい。そして、お母さんを大切にしてあげなさい。おまえたちを育てるために、お母さんはどんな苦労もいとわなかった。そして、私にも心を尽くして親切にしてくれた。

父親がいなくても、胸を張って生きなさい。お前たちのお祖母ちゃんは腎臓を悪くし、片方の腎臓を摘出し、やがて聴覚も失い、音の無い世界で病気と闘いながら、最後まで感謝の心を持ち続け、ついに死ぬまで負けなかった。

私も右足切断の手術を受けたけれども、負けなかった。これからは熱が出、咳きこみ、血を吐き、もっともっと苦しい思いをすると思うが、私は最後まで負けない。だからおまえたちも、これからどんな困難に遭うかもしれないが、負けないで耐え抜きなさい。

サン・テグジュペリが書いている。大切なものはいつだって、目には見えない。

人はとにかく、目に見えるものだけで判断しようとするけれど、目に見えているものは、いずれは消えてなくなる。いつまでも残るものは、目には見えないものなのだよ。

人間は、死ねば全てが無に帰するわけではない。目には見えないが、私はいつまでも生きている。お前たちと一緒に生きている。だから、私に逢いたくなる日がきたら、手を合わせなさい。そして、心で私を見つめてごらん。

いま、私は熱がある。咳きこんで苦しい。けれども、腕が動くあいだに書いておきたいことがある。これは私が父親としておまえたちに与えうる唯一の贈り物だ。

お母さんを守ってあげなさい。ふたりの力で守ってあげれば、どんな苦労だって乗り越えられるよ。そしてもし、私が死んだあと、お母さんが淋しがっていたら、慰めてあげなさい。

やがて、もしもお母さんの淋しさを忘れさせてくれる人が現れたら、再婚させてあげなさい。人間はいつまでもひとりでいるものではない。ひとりぼっちでいることほど悲しいことはない。

私の父母、おまえたちのお祖父ちゃんお祖母ちゃんもまた、再婚して結ばれた人達だ。私の父と母も、その妻や夫に死に別れ、一人きりの毎日だった。

ひとりぼっちでいた同士がひとつになって、家の中に灯がともった。あんなに苦しげだった父に明るさが蘇り、不安げに私たちの家にやって来た母も、幸福に充たされていった。こんなに良いことはない。

思いやりのある子とは、まわりの人が悲しんでいればともに悲しみ、よろこんでいる人がいれば、その人のために一緒によろこべる人のことだ。

思いやりのある子は、まわりの人を幸せにする。まわりの人を幸せにする人は、まわりの人々によって、もっともっと幸せにされる、世界で一番幸せな人だ。だから、心のやさしい、思いやりのある子に育って欲しい。

それが私の祈りだ。

さようなら。

私はもう、いくらもおまえたちの傍にいてやれない。

お前たちが倒れても、手を貸してやることもできない。

だから、倒れても倒れても自分の力で起き上がりなさい。

さようなら。
おまえたちがいつまでも、いつまでも幸せでありますように。

雪の降る夜に

父より

<ココまで>







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